曇天
私立恵比寿中学 「曇天」
エラい曲を生み出してくれたな、吉澤嘉代子(さん)よ。というのが個人的な感想である。エビ中のニューアルバム、MUSiC。ハズレ曲がひとつもないどころかメンバーの表現力、歌唱力の著しい成長がとても分かる近年稀に見る名盤であるのだが、その中でも吉澤嘉代子作詞作曲の「曇天」はもうほんとにえらいこっちゃな曲だ。
まさに曇天と言うべきメロディライン、今までと一線を画すメンバーのアダルティな歌い方、切ない片想いとも、家族愛とも、友情とも、気持ちが離れてしまった恋人への気持ち(これがメインだとは思うが)とも、そして、ガチ恋のオタクの気持ちともとれる歌詞。
2番のサビの「初めて渡した私を青春に綴じこめないで」が好きだ。よくこんな歌詞を作れたな。よくこんな歌詞をアイドルに歌わせたな。完敗だ、吉澤嘉代子。
正直、私は吉澤嘉代子があまり好きではなかった。あの鼻をつまんでも鼻腔の奥底に届くほどのサブカル臭がとてつもなく苦手だった。しかし、曇天に惚れ込んでから、改めて聴いてみると今までのサブカルアレルギーはなんだったのか。ここ一週間ほどもはや吉澤嘉代子しか聴いていない。もはやMUSiCの再生数をはるかに超えただろう。私自身まさかこんな事になるなど露ほども思っていなかったため正直戸惑っている。結局私もクソクソうんちサブカル女ということだったのか?そもそもサブカル嫌いとか最高のサブカルだよね。私はクソサブカルよりクソだ。ごめんなサブカル。でもキノコヘアの美大生は死ねばいいと思ってる。
今日は少し酔っているため、なにやら饒舌になっている気がする。明日起きたらちょっと恥ずかしくなりそうな文書だなあ~~~
おやすみ。
たった数分で片想いから失恋をした話
私です
今現在栄生です。
名鉄電車に揺られ揺られ実家に帰っているところです。
つい数分まえ、私は金山で電車待ちの列にいた。わりと前の方で、5分以上ある待ち時間をなんとなくスマホを弄り潰していた。電車待ちの数分は、何故ああも長く感じるのか。残業しまくった疲労と眠気によりイライラも最高潮である。
脳のてっぺんまで溜まってしまったイライラをなんとか崩すように大きく溜息をつき、ふと、なんとなく、後ろを向いたその時、
あらあらまあまあ!どどどどストライクの顔の男性が!そこに!
具体的に言うならば(私の大大大好きな)嶺井博希をさらに洗練させ、なんなら体もより大きくさせ、すこし老けさせた感じだ。世間一般からしたらけしてイケメンでは無いかもしれないが、何故だろう、それでも、ひどく好きな見た目をしていた。
完全にお胸がダンシングである。一瞬目があったそのわずか1秒の間、私は私の脳みそで彼にナンパをされ、食事に行き、数回デートを重ね、付き合い、2人で多くの時を過ごし、プロポーズをされ、幸せな結婚式をあげるところまでを体験した。ウェディングドレスをまといはにかむ私の横で幸せそうにほほえむ彼。これ以上ないほどの多幸感であった。
さきほどのイライラはどこへやら、私の心はウキウキと浮き足立っていた。後ろを振り向けば未来の旦那がいる。これ以上ないくらい危険な思考だが、まあ疲れてたんだよ許してよ。
先ほどは地獄のように長く感じられた電車の待ち時間。彼を認識してからはまるで1秒の如く短く、あっという間に電車が来てしまった。座席に座り、正面を見やると彼は(ガラガラなのにも関わらず)たっていた。凛々しい目付きで。(あら、彼ったら見た目通り、ストイックな人なのね……。そんなところも、私の心を強く強く捉えて離さないわ)
脳内のセリフがハーレクイン調になるのを抑えられない。なるべく、私史上最高にかわいい(と思ってる顔)で彼を改めて見る。怪しまれない程度に、上から下まで。体型も、顔も、何もかもが素敵であった。イケメンとかではなく。素敵であった。
しかし上から下まで彼を見、その数十秒後今度は下から上まで(怪しまれない程度に)見たところ、彼の左手薬指に鈍く光る銀色を見つけてしまった。そして、その瞬間、ほんとに一瞬で(あ、ハイ)と冷静になった。
誓って言おう、まっっっっったくショックではなかった。もうほんとに、気持ちが一瞬で冷静になった。いやもうこんな経験は初めてである。さっきまでのハーレクインフィーリングはどこへやらである。
そして彼は金山から1駅、名古屋駅で降りていった。私はそれを見て(なんだ1駅だから座らなかったのか、全然ストイックじゃねえじゃんアホらし)とぼんやり考えた。てかこれ書いてて思ったけどこの思考めちゃくちゃクソじゃない?まほりん人格障害説あるでこれ。
とにもかくにも私はたった数分(おそらく8分くらい)で壮大な恋愛を脳内で経験し、その後勝手に失恋して勝手にガン萎えたわけだ。
ある意味ではいい経験だが、今日一日で5年分老けた気がする。しかしそれでも私は嶺井博希のことがめちゃくちゃ好きである。いや本命は筒香嘉智だけど。
ノスタルジーと女子力
今日はあゆみちゃんと岐阜に遊びに行った
いつから岐阜は「遊びに行く場所」になったんだろうか。
Twitterにも書いたのだが、今の私にとって「岐阜」と「実家」は同じ場所でありながらぜんぜん違う場所だ。
岐阜は「行く」場所で、実家は「帰る」場所。
月イチで実家に帰ってる私は、つまり月イチで岐阜に足を踏み入れてる形になる。
しかし実家ではなく岐阜に遊びに行くことは、同じ岐阜でありながらなにやらスペシャルなものに感じられるのだ。
そもそも岐阜は私にとってエモさの塊だ。
同じ岐阜でも実家は幼少期をすごした場所で、そして岐阜は青春の場所なのだ。
私の人生で1番忙しなかった高校の場所だ。
思い出は補正されるもので、どうしようもなく輝いて見える。
例えば初恋相手とか。初恋相手とか。あー、あと初恋相手とか。元気であろうか。
谷山浩子さんの「冷たい水の中をきみと歩いていく」にこんな歌詞がある
みのらずに終わった恋は
夏ごとにすきとおる
みのらずに終わった恋は
こわいほどすきとおる
当時聴いていた時は何も思わなかった歌詞が、10年たった今こんなに響く。別に今更彼を好きなんて言わないが(今は今で好きな人いるし)、思い出の中で年々輝きを増しているのは事実だ。一種のノスタルジー病だろう。
話がそれたが、つまり私にとって岐阜はそんな場所だ。ノスタルジーに溢れている。
そんな岐阜に、高校時代の友人であるあゆみちゃんと遊びに行った。岐阜の大垣へ。
一応目的はちゃんとあった。2/2にアクアウォーク大垣で行われたTEAM SHACHIのイベント時に予約したCDを取りに行ったのだ。X枚(とても言えない)のCDはとても重かった。それでもドルオタにとってこの重みは誇りと充足感に塗れたものであるため、さほど苦ではなく、むしろちょっとニヤニヤした。本格的にやばいと思う。
正直言って、私は大垣にあまり思い入れがない。遊びに行った回数も1回くらいだ。思い出らし思い出もない。あえて言うならヒデキにたっかい焼肉を奢ってもらったくらいか。
でも、それでも、大垣の景観は私をどうしようもなくエモい気持ちにさせた。やはり大垣も岐阜だということだろう。あたりまえか。ノスタルジー病は正直苦しくて仕方ないので、本当に治してしまいたいが、良い思い出あるからこそのこの苦しみだと考えて甘んじて享受しようとは思う。
さて、岐阜で遊んだ後名駅で化粧品を買いに行った。女子力高めである。本当はアイシャドウだけを買うつもりだったのだが気づけば色々買ってしまっていた。
チーク、ノーズシャドウ、リップ、さらに化粧水と洗顔料。女子力高めである。(2回目)
化粧水と洗顔料は毛穴を引き締めるものを買った。なぜかと言うと私の毛穴はギアガの大穴レベルに広がっており、まったくもって醜いからだ。今まではなんとかファンデーションでパテパテして誤魔化してきたのだが、ココ最近それすら危うくなってきた。パテできるどころかファンデーションが塗った傍から毛穴にストンと落ちて汚らわしいブツブツとなるのである。とんだストートン島。そのためついに「毛穴を閉じる」専用の基礎化粧品に手を出したのだ。潤い、美白、とりあえず後回しだ。まず毛穴を閉じたいのだ。
ちなみに早速今日から使って見たが、スースーしてとても気持ちがよかった。高校時代使ったアクネの化粧水もスースーしてたがあれはちょっと強すぎてもはや痛かったのを思い出す。今回のはちょうどいい感じだ。これで無事毛穴が閉じてくれればいいのだが。あるいは勇者ロトをアレフガルドに落とせば閉じるのか。
今日は岐阜でノスタルジーに浸り、また買い物で女子力を補充した。なかなかいい一日だったと思う。明日の仕事行きたくない。
それでは。
中華屋に行ったら特盛りだった話
仕事おわり、私は今までにないほどとにかく疲れ切っていた。オマケに時計は20時半を回っており、今から帰るとどんなに順調にいっても22時前後となってしまうことは確実であった。
(そこから自炊をするのは少々骨が折れるぞ)
5°という極寒(北欧の人間が聞いたら笑うであろうが)によりすっかり強ばってしまった体をきゅ、と縮め独りごちる。
ならば、もうよい。最近はダイエットと、節約のためなるべく自炊はするようにしているのだが、今日はもうこの疲労と、寒波と、残業のせいにしてさぼってしまおう。外食だ!
……都合の良い思考だとわたしも分かっている。
さて、では、何を食すか?
しかしまあ私の舌と脳は単細胞であるため、いつだって食べたいものは
中華 焼肉 オムライス
のどれかである。小学生から進歩してないというのはよく聞く文言ではあるがまさに私のことを指しているのだろう。
ともすれは、ちょうど目の前に中華料理屋があるではいか。お誂え向きとはこのことだ。
あまり滑りのよくない引き戸をギイ、と引くと台湾、あるいは中国人の店員が出迎えた。長い黒髪をきゅ、とひとつ結びにし、わずかに後れ毛が零れた女性。
私は知っている。こういう人がいる店、十中八九大当たりだ。いい予感しかしない。
とりあえず席につき、メニューを開き、真っ先に目に付いたものを反射的に読み上げた。
「麻婆豆腐定食で」
わたしのオーダーは無事通り、厨房にとどけられた。一息付き、まじまじとメニューの写真を見直す。
「麻婆豆腐定食」
ラーメン
唐揚げ
麻婆豆腐
烏龍茶
ごはん
えらいてんこもりではないか。
大丈夫なのこれ、ダイエット的な意味で。
しかしまあ豆腐はヘルシーだし、ラーメンも恐らく半ラーメンであろう。
まだあわてるような時間じゃない。うん。烏龍茶も飲むし。実質ゼロカロリー。私は必死に自分に言い聞かせた。
……まあそんな希望(といっていいのか)はそのあと見事に打ち砕かれる訳だが。
店員が私の定食を運んできた。
「揚げ物とラーメンはあとで持ってきます」
そんな彼女の言葉が耳に入らない。私の目線はお盆の上の白米に釘付けだ。
(日本昔ばなしレベルの米……!!)
参考:日本昔ばなしの米
いやいやいやいやいやいや
え?
とりあえず目を擦ってみたがやはりそこには日本昔ばなしの米。
参考:日本昔ばなしの米
マジか。思わず絶句をする。写真と全然違うぞこの量。逆パターならよくあるやつだけども。大丈夫か。思わず心配になる。しかし悲しいかな、私の中のデブな私が同時に心で高々と万歳をする。
実際麻婆豆腐はかなり美味しそうだし、つやつやの白米によく合いそうだ。私はもう何時間も空腹であり、そんな身にとっては目の前の白米と麻婆豆腐はこの上ないほどの幸せの具現化のようにも思えた。
なに、白米は多くとも麻婆豆腐は飲み物みたいなものだ。食べ切るのは容易かろう。
……私は忘れていたのだ。
先程の店員のことばを。
-揚げ物とラーメンはあとで持ってきます-
やがて、静寂は破られる。
「お待たせしました、ラーメンと唐揚げです」
ドン、まさにそんな音とともに、私の目の前に置かれた丼と皿、ラーメンと唐揚げ。
もう、思わず笑ってしまった。
そして同時に、先程のラーメンは恐らく半ラーメンであろう。という甘い推測をした時分を殴ってやりたくもなった。
…そのどんぶりは、どう見ても、何度見ても、瞬きしても「1人前サイズ」であったのだ。もしかしたら麺が少ないのか?と箸を入れてみたが、1人前分の麺の重みずしり、と私の手に落ちてくるだけだった。
さらに、唐揚げである。
手ですか?これ?と言いたくなるような大きさだ。マジで成人男性の手。しかもふたつもある。
さて、無事に揃った。わたしの麻婆豆腐定食。
1人前サイズの麻婆豆腐とラーメン
手のひらサイズの唐揚げ×2
日本昔ばなしのごはん
ジョッキ烏龍茶
3人前だよ!!!!!!
2人前どころじゃねえよ!!!!
これで800円とか赤字レベルだよ!!!!ありがとうございます!!!
だされたものは残さない主義だ。覚悟を決めろ、私は深く深く深呼吸をし、箸を手に取った。
サヨナラ✱ダイエット
基本健啖である私は、特に苦しむことなくそれらを平らげた。
悲しみと、達成感の入り交じった感情を、私は初めて覚えた。26年生きても、まだ知り得なかったものがあったのだ。
……あの中華料理屋には感謝をしたい。大切なことを教えて貰えた。
あと普通に美味しかった。
とりあえず明日は1日サラダだな。空っぽになった皿を見ながら誓う。そして、烏龍茶の最後の一口を飲み干した。不思議と、涙の味がした。